先生になってみて、実感したもの

2023/10/05

今日は東京都にある某女子校にワンデー先生として行ってきた。韓国のソウル市にある某女子校と姉妹校であるらしく、修学旅行先も韓国に決まったそうだ。3日間韓国に滞在することになるので、その事前準備として学校から色んなキャンペーンを準備したという。その一つが、今日のワンデー授業。

 

今日の講義は、韓国についてのあれこれを学生さんに教えることが目的だった。例えば、気候・言語・交通手段・マナーなど…正規科目でもないし、修学旅行でウキウキしている学生さんのためにも、堅苦しくて形式通りの授業ではなく、お互いにおしゃべりすることができるようにしようと思った。タメ口の方がいいか、敬語の方がいいか、よくわからず直前まで悩んだが、敬語のクセから抜けられなくて結局敬語で授業を行った。

 

私が担当したクラスは2組。接客室で待機しつつ、どのようなことを話せばいいか静かに悩んだ。隣にいた同僚がめちゃくちゃ緊張していて、緊張した方がいいかなと思ったが、緊張すると必ずすべってしまう、残念なところの持ち主のため、隣の反応と関係なく自分のペースで授業時間を待つことにした。

 

授業時間になると、学級委員会みたいな生徒たちが接客室に来て、担当のクラスまで案内してくれた。日本の高校生に対しては全く経験がなく、少し不安そうに話したかもしれない。話題や接し方、距離感、すべてわからないものばかりだった。でも、やっぱり余裕が一番大事だと思って、自分の呼吸に焦らず、ゆっくり話すように頑張った。

 

私は高校の時(中学の時も)授業のときにうるさい人だったため(質問したり答えたり)、なんらかのコミュニケーションが取れるかと予想したが、2組の生徒たちは結構大人しく多少受身なところがあったため、途中で自由な考えを聞く質問を投げるのではなく、クイズを出してなんとかの選択肢を選ぶよう、やり方を変えた。

 

JK様はすごかった。めっちゃ嬉しかったけど、授業の内容とは関係ない「カワイイ」「電話番号教えて」「インスタ教えて」と反応されたときは、若干つまずいた。おじさんすぎるよ、そのナンパ。とは言えなかったので、笑顔で誤魔化してみんなの資料をチェックした。ハングルで自分の名前を書いてみるワークショップがあったので、そのチェックを。

 

授業が終わったときは、なんだか体から力が抜けて即その空間から身を退避させた。すごく楽しくて嬉しかったけれど、もう残りのエネルギーがなかった。(ゆるして)学生さんが自分の名前をちゃんと書いて、私が発音した瞬間、生徒さんがとても喜んでくれて、自分まで浮かれた。みんなのキャラクターも様々で、なんだか不思議な気分になった。担任先生も自分の講義をじっくり聞いてくれて嬉しかった。

 

今日のことでわかったことをまとめたい。教育や指導は非常に難しいことだと改めて気づいた。私の時代では高校での携帯はゼッタイダメだったが、今の高校では当たり前のように学生みんながタブレットPCを持っている。すべてが同じ形をしていたことから、学校側から配ったんだろう。一言で、時代が変わったのだ。生徒さんと私には、ある溝がある。違う環境や時代を生きてきたわけだから、仕方がない。学生さんに対して軽率に自分の価値観で判断することは、もう時代遅れというより、正しい指導方法ではないかもしれない。その時代を生きてきた世代に、これからのことを任せる勇気を持って、教育指導することが教師の役割だろう。正解を詰め込むのではなく、その当事者たちが選んだ選択肢を信じて、大人としてその道を見守ることが、教育ではないだろうか。既存の知識を持っているから「見守る」ことは確かに難しいかもしれない。口を出したい、あるいは修正させたい瞬間もあるだろう。しかし、それができる人こそが、先生や教育者だと思う。そのため、教育ということは非常に難しい分野だと思った。

 

記憶の破片は組み立てられ、ある川に流される。その破片からキラめきを見つけられる日を私は待つのだった。