ネコと暮らすは、5年後で

いつか出したい本

『ネコと暮らす』←エッセイと社会学を混ぜた本にしたい

<内容>

ネコという生命体について

ネコがきっかけでつながった人びとについて

ネコとともに暮らすこと

人間とネコ、家族構成員としてのネコ

風俗・風景

家族社会学

 

バイトすることも大事だが、やはりこれからはちゃんと考えて自分の意見もまとめる時間も確保しないといけない気がする。今日はバイトがない休みの日で、気になっていた授業の聴講にも行ってきたし、ゆっくり食事も食べれた。そして、受験ぶりに三田キャンパスにも行ってきた。ずっと気になっていた、猫の社会学の講義もやっと受けることができた。まだ理論の部分なので、猫の話は全く出てきてないけれど、先生の研究テーマのリストや講義スライドを読んで、しっかりと研究をされている方なんだと実感できてなんだかホッとした。その後、図書館(メディアセンター)に行って、今週の研究会で気づいたことをまとめて、自分がそのテーマに関してどんな問題意識を持っていて、どういう場を作りたいのか、と考えをまとめることができた。

 

今日最も嬉しかったことは、やっとSFCで学問的でちゃんと面白い授業に出会えたこと。聴講という形だったのが非常に残念だったが、まぁ来年もあるしー。卒プロの問いの設定に向けてまずは情報収集だ!って感じ。単位なんてすぐ取れるし。

 

なんか自分の疑問や考えを学問的に語ることの難しさは、第三者の目線では冷たく会話しているように見えるところだ。ポパーが言ったように、そういう学問的議論のところは開かれた場所でなければならないと思う。ちゃんと相手のテーマを確認して、私の意見を共有し合う必要がある。優しい気配りよりも、学問を優先するべきだ。でも授業という形のせいか、なんか責めているように見られたりして、まだ自分の中の渇きがまだ解消されていない気がする。でも、今日の一道の光みたいなのがチラッと見えてきたから、まあいいかな。

 

今日絶対書きたかったテーマは家族。自炊をするとき、よく「自分が家族を持つんだったら、自分はどうなるのかな」と想像する。ご飯を作ったり、働いたり、何かを教えたりするのかなー。そして、家族とはどういうコミュニケーションを取ってるのかなー。的な。「私はママになりたいです」という言葉を今まで何度か耳にしてきた気がする。わたしも、今の家族とは別に、自分の家族を持ちたい。でも、だからと言って、ママになりたいわけではない。家族を持つためには、「ママ」という役割を遂行しなければならないから、やむを得ず「ママ」という立場を選択するのである。

 

ママになっても、わたしは自分の名前を失わずに、わたしとして生きられるだろうか。家族という名で自分の名を失ってしまうのではないだろうか、といった疑問がわたしの想像の後ろをついてくる。「ママ」「わたし」「家族」「自由」「所属間」「孤独」

 

社会における社会的集いとは異なる、家族という社会的集団を持つこと。それはある意味、その家族どうしも結局異なった存在であることを意味するかもしれない。適度な距離、ゆとり、支え、ゆるやかな連帯…時間と空間を定期的に共有し合うこと。

 

自分に子どもができるかは知らないけれど、まず同居したらネコとともに暮らしたい。ネコに家族との生き方を教えてもらう。