明けましておめでとうございます

年末あるある

なぜか落ち込んじゃう

 

何時間も潰せるほど好きなのに得意じゃないものってあるよね。異常にそれに時間使ってるのに、実際やってみると全然できない、そんなの。人生がこれでなんだか詰んだ気分になっている。

 

10年前とか8年前に撮った動画が好きすぎて、特に猫の動画、つい昔のiPodを買っちゃった。それで記録すると、私の人生もなつかしいあの瞬間になれる気がして。

 

猫と温かくてちょうどよい広さの住宅でのんびり過ごしたい。

 

 

ゆめにっき

なんかわかんなくなっちゃった

これが人生?!

 

溺れるナイフのテーマ曲を聞きながら、クリスマスイブの日記をつけている。別に書くことないんだよな〜と思いつつ、書いておくことの大切さをなんとなく実感しているから、まだ慣れていないキーボードの音や打ち心地を感じながら、ひと文章を綴っている。

 

ここ最近はその当日のことをすぐふりかえりたい気にならない。それでちょっと困っている。日記をつけるには、その日のことを書かなくちゃならないのに、その気にならないのってなに。思い出すたびに、なんだか苦しい。まるでよく動いている歯車に指を刺して、わざと変な邪魔をするような気持ちになる。要するに、気持ち悪い。ちょっとしためまいもする。

 

日記と称してはいるが、無理やりにその当日のことを書かなくてもいいかなと思う。過去なんてふりかえりたくない。今でいいのよ。今は。

 

食事制限が終わって、ちょこちょこお菓子など今まで我慢してきたものを食べたわけだが、別に食感も味も大したことはなくて、これからはできる限り自分で作ったもので生活していこうと思っている。自分の手作り料理とか意外と好きかも。自分が作るとどれほど美味しくなくても、なんとなく食べ切れるし。お財布にも優しいし。

 

今日作ったのはキムチ鍋。デカい白菜を半分に切って、その上また半分に切った。つまり4等分です。白菜は茹でる前までは手応えがすごい食材なので、テキトーに切って、早く鍋の中にぶち込むのがコツです。M-1まで30分ほどしかなかったので、全ての食材の下ごしらえをテキトーに済ませました。ニラ、ミツバ、こんにゃく、えのきも入れてキムチ鍋完成。キムチ鍋の素をはじめて買って、またはじめて使ったわけですが、とんでもなく美味しくてお得でした。普通においしかった。

 

やはり甘いものは好き。大大大好き。パン屋のパンはともかく、市販のパンはあまり好きではないので、冒涜だ!←言い過ぎ、素敵なパン屋さんに出会うまでは、手作りお菓子で頑張ります。今日はバナナの入れたチョコケーキを作りました。ラカントも入れて、オートミールも入れて、そして私の欲望も入れて。自らその生活を楽しんでいるか、体を売りにしようとしてるのか、実はわからなくて。体が軽くなって動きやすい感覚を味わいつつも、メディアの体に織り込まれてもいってて。商業はいいと思いつつも、商業化していく身体はなんとなく嫌で。でも、それが受け入れられていてて。私はその境目でタップダンスを踊っているのでした。

 

本読みたいから、ここまでにする。明日は卒プロの日にするね。

 

永眠

だからと言ってあの頃に帰りたいというわけではない

 最近はよく「生きづらさ」について考えている。その理由としては、実際に生きづらいという感覚を持っているからではなく、学生の頃(中学、高校)はここまでその言葉を気に留めていなかったなーと思ったからだ。もちろんのこと、生きてて辛いな〜という感覚はある。しかし、ここまで意識したことはなかったように感じる。昔は、落ち込むのではなく、乗り越えようと頑張っていた。その場として学校は完璧だった。気の合う友達に毎日会えて、また何気なくおしゃべりもできる。お腹が空き頃には給食も出る。放課後は、友達の家や近所のロッテリアに行き、日が暮れるまでそこでおしゃべりをした。ロッテリアに行かない日は、友達とネットカフェ(韓国のネットカフェはオンラインゲーム専用のお店である)に行き、日が暮れるまで一緒にゲームをした。だから、生きづらさが生活に伴ってても、無垢な笑顔が自然と作れたし、実際に心から笑っていた。入試に絡まれない学生時代は至福なものだった。

 

 大学入ってからはそれがうまくできなくなっている気がする。うっかり言葉にしないことの重要性に気づいたからでしょう。社会に受け止められる大人になった証拠とも思えるが、本や人生の先輩のお話を聞いて、そうでもない気がする。社会の言っている、いわゆる大人はどこか歪な面があって、多分それをそのまま鵜呑みにして歳をとってしまったら、社会の良くない負の連鎖に身も精神も奪われそうである。学校とは違く、社会(学校ではない空間)では自分の席は自分で作るしかない。誰か作ってくれないかなと、順番を待っていても、それの感知できない人に奪われるだけだ。

 

 個性、失ったか、できたことすらないのかと思える、自分の個性。それを勢いよく押し付けるしかない。最初は確かに歪んだ存在としてみられるかもしれないが、残されるのは結局こっちである。尖った部分は時間により侵食され、個性という宝石として磨かれる。図々しく思ったら勘違いだ。これはある種の戦略である。図々しさもクソもない。

 

 思いやりは、一見神聖なものとして思われる。が、なんだかうさんくさい面もあると思っている。ハンドルは切ったものの、その方向性や新しい道がうまく作れるかは少し不安である。

豆の力

疲れてしまうと、最初に言語を失うことを実感した最近。

 

言語化をやめてしまったのは、多分その言葉の伝わらなさをなんとなく感じ取ったからだと思う。自分がどう足掻いて、言語として自分の感じていることを置換しても、流されてしまうことをわかっているから、たとえ現実がそうはならないとしても、そう予想してしまうから、そのから脱力感を持って何も言わなくなってしまったのかなと。確かに誰かとつながっていることは大変な側面もありつつ、そのような状況から脱するようにしてくれるのも、また人とのつながりである。この複雑で呪いで祝福なのとこれからもうまく付き合っていけたらなー。

 

でも、やはり、言葉として残しておきたい。私の不器用さ、そして体得したことを省察しながら、勇気をもって向き合っていきたい。そこには他者によるものも、自分によるものもきっとあるはずだ。認めずなかったことにするのではなく、まるごと飲み込んでいきたい。それが私の「学問」である。学ぶだけではなく、問うてもいきたい。この問いの過程は誰でも関与できない自主的な過程である。

 

まず、私が最も辛かったことは、自分の思っていた現実と目にしている現実の乖離だった。ちゃんと本を読んでいて、それっぽいことを言っていても、実現される行動は全く違う種類のものかもしれない。それこそ、人間臭いところかもしれないが。でも、私は今まで学問している人は、その学びが自分の思考や行動、勇気につながると信じて、期待していた。学問している人は、いい大人だと思い込んでいたのだろう。現実はそうではないことに気がついて、実に辛かった。自分が信じていた世界が崩れた瞬間を目撃して、私も結局そうなってしまうのではないかと、その口ばかり、言葉ばかりの人間になってしまうかと、挫折していた。

 

先生のことを先生として尊敬していたからこそ、その無力感は非常に大きかった。何も知らないときは、すべての教えを鵜呑みにすることに忙しかった。価値判断をする暇もなかった。だって何も知らなかったから。しかし、ある程度知識が増え、本の世界に触れ、友達に出会い、先生の教えは必ず真なるものではないことに気がついた。先生の教えは、先生がこの世界をどう見ているか、つまり真理そのものではなく、ただその個人の意見にすぎなかった。先生の言っていることがすべて妥当ではないことに気がついた。もちろん、相変わらず尊敬する部分はある。私には儒業の文化が深く根付いているからだ。しかし、もうこれ以上は消化不良になってしまうと思った。

 

確かに色んなことが学べた。これは否めないだろう。しかし、成長と上達を混同してはいけない。私は「そうできるようにはなった」のである。上達しただけであり、成長したわけではない。私の成長は、みんなとつながることで得られたものである。教えからきたものではない。その関係から得られたものである。

 

次に、負の連鎖を途絶えることの難しさである。連鎖は繰り返される。無意識の中に自分の体にそれが染み込んでくる。まるでパラサイトのように。気づいたら、もう自分の体はすでに空っぽである。そこに抗うのはすごくの体力が求められる。どうしてもどうしても入ってくる。それを浄化させるのに力を入れていたため、疲れたこともある。

 

ここで反省しておきたい点がある。私の行動である。私は義理としてそうふるまったわけだが、現実ではそう簡単にはいかないことがわかった。私の義理は、他の側面から見ると、じゅうぶん誤解される余地がある。意図がそうでないとしても、他者にそう感じ取られるとしたら、やめるべきである。知らなかったため、今まではずっとこうふるまったかもしれないが、これからは断固にやめておく必要がある。振り回されるのはごく大変なものである。

 

私は社会に調和されたいわけではない。自分の人生を送りたい。型を作ってもらってそこに自分を当てはめるのではなく、ただ自分の気に入る型を自分で用意して、その形のまま、社会の中で生きていきたい。

 

私は、自分の言葉を失いたくない。自分の言葉で、自分の世界を開拓して、その個として存在していきたい。そのためには、お金も、知識も、知性も、権力ももちろん必要である。それに目を背けたくはない。事実なのだ。私のやり方は、その認めたくないところをちゃんと見て、自分のあるべき姿と避けるべき在り方を考えて、自分の納得のいく居場所を作るのである。そのためには、学問する力が必要である。

 

学問は、まず本や人を通して、すでにある知識を柔軟に獲得する必要がある。その語彙力は私が世界を眺めるときの最もいい羅針盤になるだろう。しかし、見えている世界がすべてではないことも熟知しなければならない。そして、言葉が自分の視野を裁断することも忘れてはいけない。私の持っている言葉は、だいたい他人の言葉だ。私は、世界を経験するとともに、他人の言葉を自分の言葉として置き換える必要がある。どういう文脈でこの言葉が使われているか、この記号によって見えていなかった世界はどのようなものがあるか、こまめに分析しなければならない。そして、自分の言葉で自分という個性の塊を構築する。コミュニケーションはそのためにあるものだと思う。自分というある意味歪な存在が、他者と調和するにはどう調整すればいいかを絶えず調整していくために。

 

そして今回の事例を通して、時間の経過はいかに恐ろしいことがわかった。時間はある意味賢さを侵食されるのかもしれない。きっともっと前はいい人だったと思う。しかし、時間は経ち、時代は変わった。そして捉え方も感じ方も変わってしまった。そうだけである。ここで是非を見極めるのはそれ以上でもそれ以下でも意味のないものである。

 

精神の限界を直面していると同時に、自分の精神力が思った以上に丈夫だったことに気が付いた。一息ができるようになった今、最後までちゃんと結んで、新たなところへ旅立ちたい。

第1回 卒プロ発表のふりかえり

まず発表する機会がいただけたこと、めちゃくちゃ嬉しい。

 

ふりかえり

初回目の聴講は緊張&警戒したこともあり、結構固まった姿勢で参加してしまったけど、今回は2回目なのもあってだいぶ落ち着いた状態で参加できた。

 

自分の発表に対するふりかえり

時間内で発表を済ませること、早口にならないことを心がけてプレゼンに挑んだ。レジュメで発表することははじめてで(輪読はあったけど)、緊張したけれど、なんとなくうまくいった。

復活なのだ。

パソコンに牛乳をこぼしてしまった。5年間付き合ったMacBookは見事に壊れてしまった。はぁ。

 

タイピングするときのあの感覚が忘れられなくて、しばらく新しいパソコンを買うことができなかった。結局やむを得ず買ってしまったが、まだ使っていたあのパソコンが恋しい。なんでキーボード変えてしまったんだよ。

 

だが生きていくしかない、という言葉を口にしたくない。何度も何度も思い出してやる。未練たらたらで生きてやる。牛乳をこぼしてしまったのは私だが、まぁそうするしかないのだ。私だって知っててそんなことしたわけではない。一瞬だった。

 

反省がてら、今までの自分をふりかえってみる。そういえばパソコンで何かを食べ、あるいは飲みながら、映画とかアニメとか観たな〜。iPadで観るのと少し違うんだよね。これからはなるべくiPadで観よう。パソコンで観るしかないときは、液体類は絶対飲まないこと!!!しね!!!

 

 

しばらく日記を付けられなかったのだが、いろんなことが起きた。そうだよね?うん、そうだね。

まず、卒プロの概要が書けたこと。これは本当に褒めておきたい。ちゃんと縦書きで、自分がどのようなテーマに取り組みたいか、丁寧にまとめてみることを試みた。このような文章を書いておくといいのが、誰かに気軽に見せられること。最近会った友達に読んでもらった。コメントもたくさんしてくれて本当に大好きです。

そして、はじめてタバコっていうのを吸いました。ガラリと見えてくる光景が変わるのかと思いきや、何も変わりませんでした。ヨナヨナシナシナのままでした。でも、教えてもらったその瞬間が忘れられず、少しつらいです。

最後に、書くことないですね。解散です。

 

さようなら!

 

ヒョウ柄

ギャルってなんだ?!

 

今日はバイトの日。連勤で少し体が鈍かったけど、まぁなんとなく出勤できた。今日は言うて13時からのシフトだったし。久しぶりに手作りのおうちごはんを食べた。正直に言って、うまくはなかった。味は薄いし、なんか肉臭いし。でも、なんだかすごくよかった。普段自分の食べてる量に比べてはるかに少なかった量だったけど、すぐ満腹になれた。喉越しの良くない、でも自分の好きな食材で飾られたおうちごはん。そのゴツさからしか得られない満腹感がある。でもお昼の時間は大体外にいるし、弁当持ち歩くのも大変だからあまり食べられていないんだよな〜。バイトやめたら休日はおうちごはんのための日にしたい。

 

働きながら思ったこと。やはり接客うまいし好きだ。バイト先があまりお客さんと喋られない環境だから、主に機械的に言葉しか口にしていないけれど、でも笑顔で答えてくれるお客さんを見ると、なんだか癒される。

 

今日は何組か印象的なお客さんがいたけれど、その中で最も記憶に残ったギャルのお客さんのことをお話ししたい。最近のマイブームがギャルだから(笑)。

ギャルの条件その一、群れること?!

自分調べにすぎないが、一応見た目ギャルのお客さんは必ず団体でここにいらしてくれる。いやでもお一人の場合もあったわ。その方はお子さまといらしてくれたけれど。例外もあるが、大体2人か団体で来てくださる。

ギャルの条件その二、ヒョウ柄かもふもふ上着

ギャルといえば、ヒョウ柄とふわふわの上着が頭によぎる。今日来てくださったお客さんもそうだったな。ジャケットがとてもかわいくて、思わず「かわいい!」と叫ぶところだったが大人しく我慢した。すぐ褒めてしまっても良い環境がいいな〜

ギャルの条件その三、丁寧な支度?!

今日きてくれたお客さんのすごいところは、何時間かけたか想像もつかない丁寧なヘアアレンジだった。他の支度も含めて少なくとも2時間はかかったんだろうな〜と思った。中学生の頃はそんくらいかけて支度していたけれど、今は全くそうしていないな。てかバイト先ほぼゼロ支度のまま行くし。

以上までがパッと見ギャルのお客さんの特徴だった。今日は三つしか挙げてないけど、やはり観察してみて色んな系統のギャルがあることに気づいた。でもやはりツヨそうでいいな。自分の足で歩いている気がして、「わぁ〜」と憧れてしまうところがある。

 

でも、やはり他人の話に耳を傾けることのできるギャルになりたい。自分がなれるんだったらね。自分の足でずんずん歩くこともきっと素敵なあり方だと思う。しかし、やはり私の良さはこの衰弱さだ。石橋も叩いて渡るところが、私の素敵なところである。最小限のマナーや社会的約束は守りたいし、だからと言ってそれに全く従う気もない。適度に叩いてルンルンと渡るのが一番心地いい。

 

そして、今日は店長さんにやめたいということを伝えた。1年以上働いたし、最近色々厳しいこともあるから、伝えるのに時間がかかった。学生のことをわかってくれる店長さんだったから、そうだったかもしれない。なんだか泣きそうな顔をしていた気がする。申し訳なかったからそう見えただけかもね。とにかく、今までの恩もあって、4月まで籍を残しておくことにした。2月と3月は帰国や勉強などで働けないことを伝えて、12月・1月・4月は頑張って働くことにした。余談だが実の本音を伝えたわけではない。見た目に対する規制が緩和されたら、普通に働き続けるつもりだった。大変だけど楽しいのは事実だし。でも、改善される余地がないように見えたから、学業をやめる理由とした。ブランドあるあるの溝なのかな。運営する側と企画する側の意見にどうしても差が生じることって。確かに厳しい一面もある店長だったが、すごく好きだったから、なんだか少し残念である。

 

それが縁とするならば、やはり少し寂しいのである。