余裕

 しばらく日記を付けなかった。付けなかったというか、付けられなかった。食事中、パソコンに水をこぼしてしまい、あまりにも心配だったため、二日間パソコンを開けたまま、放置(乾かした)した。ブログとか、自分の考えはなるべくパソコンで、このキーボードの打撃感でまとめたかったため、つらい時間だったが素直に待つことにした。毎日やってたことができなくなることって意外と不安になるもんだね。

 

多分、私は言葉を紡ぎながら考えがまとまっていくタイプの人だ。もちろん、手書き文字も好きだが、手書き文字は考えの骨格を構造的に作っていくときに役に立つ。どんなに手で書いたとて、考えが論理的に展開されることはない。このようにパソコンで文章を書いていると、全く書くつもりもなかった内容について書いてしまうときもある。最初は、結構自分の思った通りにいかない文章が気に入らず、不安なところがあった。しかし、何回この経験を重ねることによって、この現象って自分の無意識が発揮される瞬間ではないか、つまり自分の知らなかった自分の一面に気がつくいい機会ではないかと思われてきて、この現象を思い切り受け入れることにした。

 

そういえば、最近は結構つらいことの連続だったな。自分の周りの人に救われ、逆に傷つくこともある一週間だった。頭ではじゅうぶんわかっても、心ではやはり納得いかないところがあって、自分の周りの人に色んなアドバイスを聞いた。一方的に自分の考えに賛同してくれる人、より第三者の目線で現状について分析してくれる人、今まで積んできた社会経験に基づいて実際に使えるアドバイスをしてくれる人…。すべての意見が大事だったし、とても力になった。いただいたアドバイスを自分の頭という棚に入れておきながら、自分の現状というものが、すなわち社会であることに気づいた。今まで社会学における書籍を読みながら、ある程度社会について分かったと思ったが、やはり実際の社会は異なるところがあった。今の過程が、その社会というものを理解するに非常に大切な時間であることがわかった。どうせ回避できないなら、楽しむこと・そして自分の最善を尽くすしかない。秋学期は、とにかくその社会を経験し、それとの付き合い方を身についていく期間として捉えておきたい。そして、やはりやってみて大変だったなーと思ったら、大胆にその社会から抜け出そう。

 

今日は頭で考えて、足で東京都内を歩く日だった。自分で考えて、それを相手に伝えて、コミュニケーションを取りつつ、お互いのことを調整・調和させることはとても楽しくて嬉しい経験だった。こんなに素敵な人間活動に気がついて嬉しい一方で、もっと上手く展開していきたいところもある。やはり、私を一番支えてくれる言葉は「The key is diversity」だ。社会には、さまざまな人びとが集う場所だ、障がい・性別・アイデンティティ・文化的背景・過程環境・学校での経験…私が社会学に興味を持っていることも、本当に地球で生まれたホモ・サピエンスを、一人の人としてみたいからだ。私とは合わなくても誰かにとってはかけがいのない人かもしれない。私には見えなくても、あの人には見える何を、知識や記憶は事実の再構成・再編集によって行われることを、真の意味でわかり実践したい。そして、畏敬の存在である自然を、眺めて楽しんで、一匹のサピエンスとして生を終えたい。

 

しかし、そのためには「お金・資本」が必要だ。なんならお金より、資本、あるいはその資本システムの確保が欠かせない。資本そのものが目的なわけではない。資本があれば危険から安心できる「余裕」(または度胸)が得られるのがある程度の現実であるからだ。私は正直に言って資本主義が悪いとは考えてない。問題であることは資本主義そのものではなく、資本主義に基づく社会システムによる情報格差(教育格差)、貧富格差による成長・生活環境の不安さだと思う。もちろんのこと、資本主義が完璧な思想や体系ではない。民主主義のように諸刃の剣の面もあることは否めない。「公平な観察者(アダム・スミス)」がないと、資本主義は真の意味や目的通り働かない。つまり、成熟な人が必須前提なのだ。しかし、これは現実的にできそうなものではない。だからと言って、資本主義を超える、人類の同意した体制や文化があることでもない。そのため、私は資本主義をある程度肯定している。

 

資本主義に基づく社会システムにはどのようなものがあるだろうか。金融、教育などがある。銀行は誰が作ったのだろうか。貨幣は誰が作ったのだろうか。学校は誰から発送された教育機関なのか。都市空間の匿名化が私たちのコミュニティー形成にどのような影響を与えているのだろか。これについては学術なデータがないため、憶測に近い考えかもしれないが、私たちは少数の人びとが作った(いわゆる、ビック・ブラザー)システムのもとで生活を営まざるを得ない。それに抗うためには、その権力や不透明さは既に壮大なものとなっており、今の生活に関わるものが非常に多いため、不可能に思える。

 

それでは私たちは何をすべきか。私は「余裕」を持たなければならないと考えている。その余裕の取り戻し方に関するのが自分の卒プロになると思っている。余裕は、自分の持っている情報の解像度によるものだと今は思っている。

 

ただの自分の意見を述べたことにすぎないため、今は自分の憶測や飛躍がたくさんあるだろう。教育システムの歴史や資本主義、都市空間といった分野をより勉強して、より優れた意見を展開していきたい。